ごあいさつ 長尾 秀紀(ながお ひでき)牧師

みなさん、こんにちは 牧師の長尾と申します。
郡山キリスト共同教会は、聖書の伝える神様が天地万物を創造されたことを信じ、聖書(旧新約66巻)を神様の言葉と信じ、イエス・キリストを救い主と信じ、主の再臨と天の御国を待ち望みつつ、共に歩んでいるクリスチャンの群れです。本当の神様に立ち帰った時に初めて、私たちの「自分探しの旅」は終わり、本来の生きることがスタートします。共に歩みませんか
長尾 秀紀(ながお ひでのり)牧師プロフィール

1958年生まれ、19歳まで岡山県で育つ。高校の時から心の葛藤を抱えて苦悩し解決を求め始める。20歳の時に心理学の本を読んできたとき、「もしも本当の神様がいたら、この悩みは解決するのではないだろうか」と、ふと思ったことからキリスト教会に通い始める。22歳の時に「私の罪を身代わりに背負って罰を受け、十字架で身代わりに死んでくださった救い主イエス様」を信じて洗礼を受ける。その6年後、牧師になるために神戸市垂水区にある関西聖書神学校に入学。卒業後、牧師として山口県光市、熊本市、兵庫県加古川市の教会に仕え、現在は福島県の「郡山キリスト共同教会」と「三春新生教会」において主に仕えている。
郡山キリスト共同教会の沿革
1940年 (昭和15年) | リバイバルリーグによる郡山天幕伝道によって、矢木薫牧師を中心に福音伝道教団郡山安積教会が設立されたのが始まりである。 矢木牧師応召の後、坂本勝重牧師が引き継いで教会を守る。 |
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1945年 (昭和20年) | 終戦とともに教会は解散し、坂本勝重牧師が新しく郡山キリスト共同教会を設立する。 |
1945年 (昭和20年) ~1983年 | 坂本勝重牧師 |
1951年 | 日本イエス・キリスト教団が結成され、これに加わる。 |
1984年~ 1998年 | 鳥井健男牧師 |
1989年 | 郡山市大槻町(現在地)に新会堂献堂 |
1999年~ 2013年 | 福井文彦牧師 |
2014年~ 2019年 | 金井信生牧師 |
2020年~ | 長尾秀紀牧師 |
日本イエス・キリスト教団について
1890年、英国国教会の牧師であったB・F・バックストンが宣教師として来日。彼は、聖霊による心のきよめを強調し、日本人の働き人たちやよき同労者P・ウィルクスの協力を得て宣教活動を進めた。
やがて、英国において、日本への宣教の目的を持つ団体として「日本伝道隊」が結成され、翌年1904年、現地「日本伝道隊」が結成された。 この「日本伝道隊」は、近畿各地への伝道を進め、各地の修養会の開催に協力し、そのような働きの中で、各地に教会ができていった。
そのような中、岡山県下の諸教会が結束して「イエス・キリスト召団」を、神戸地方の諸教会が結束して「聖書教会」を設立、1935年にはこれら2つの団体が合同して「日本イエス・キリスト教会」(教会数32)が設立さた。 戦時中は、国家政策により各宗教団体は合同を迫られるようになり、1940年、日本伝道隊系諸派は「日本伝道基督教団」を結成した。
1941年には、ついにプロテスタント諸教派が合同して「日本基督教団」が創立され、「日本伝道基督教団」もその傘下に入れられた。戦後、そのような中から多くの教派が「日本基督教団」から離脱、独立していき、旧「日本イエス・キリスト教会」系の諸教会が参加して「日本イエス・キリスト教団」を結成するに至った。
(日本イエス・キリスト教団函館中央教会HP「日本イエス・キリスト教団」のご紹介より引用させていただきました)
「主の祈り」と「使徒信条」
主の祈り
「主の祈り」とはイエス・キリストが教えてくださった祈りです。
主の祈り
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いいだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
使徒信条
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
使徒信条
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン